心地よく過ごせる場所なんてそうそうはないと感じる。多少の距離を越えてででもたどり着く価値はあるのではないかと。
開店セレモニーや会議、打合せ、搬入などで訪れていた時にはなかなか感じることがなかった感覚。今日の打ち合わせ後、はじめてお客としてカウンターに座り、お酒と肴を味わってみて、お店のよさを改めて確認した。
過去の内容を寄せ集めたようないいとこどりのイベント自社の都合だけで考えられた事業計画形式の維持が目的になっているかのような連携組織
普段見られないような場所を見せてもらったり、普段話を聴けないような人からお話をうかがったり、 日常では出来ないことをしてもらう事を 有り難いと言うのだと思う。 そうではないのか?
何にしても参加しやすい事業が団体的にはベターというところでもある。まずは会議への参加があってのことだが。
集客システム運営開始。
街を歩いていると、様々な商品やキャッチコピーが泣かせる。
大げさだが、車の乗り降りさえ億劫になり、行動にも自然と制限がかかる感覚。
これは本当にそうだと実感。同じやるなら主体的にするほうがわくわくできるし、結果的に周囲やお客様も満足できるのではないかと。
確かにそう。たとえ会議のほとんどが世間話になってしまったとしても。
かえっていろいろ人と話せてよかったとか、そういう事。まあ、仕事だから。
こんな事は言わない方がいいだろうと言う点にいつも気づかせてくれるヤツ。 それはそうと、行かなかった場所やイベントというものも、それはそれで想い出の一部なのか。言ってきたかのように他人に語ることはできない、あくまでも個人的な記憶。 先の連休で…
愛荘のM氏、焙煎店CWPなど久々に。
カー用品の買い残しなど購入して、堅田から西大津あたりぐらいまで出かけているうちに一日が終わる。
歌っていた。そして、叫んでいた。 この時期の恒例になりつつある忌野清志郎さんの追悼イベントで、スペシャルゲストであり屋根の上の歌うたいでもある今西太一さんのステージは、ヒーローが輝くのはやはり立って活躍する時なんだと、気づかせてくれた。忌野…
名前だけは知っていたその人の歌を聴く機会が来るとは思ってもみなかった。
最早わからなくなっている。何もない日というものもある。
何事もないかのように。向こうは何も感じていないのか。胸が少しでも痛まないのか。
長期旅行や帰省など、数日間を要する予定がなければ別に5~9日間の連休なんか要らない。それよりも、一瞬の夕日の色に気づいたりするような体験や経験が持てるような状態で日々を過ごせるほうがいい。
いずれにしても新幹線が通るのが確定している街は少しずつ進化しているようだ。大切な場所がなくなっていくのはそれと関係あるようでいて、実際は全く別のことが進行しているだけなのだろう。
その時、確かに木の枝が折れて上空を飛んでいた。風も雨も通常の大雨の時とは違っていた。
必要なことは沢山ある。でも一番大事なことは、当事者自身が決めて行動するための組織や団体ではないのかと。それぞれの役割を果たすのみ。
感情で。音楽で。様々な距離で。
自社のお客と売上を増やすという目的に直接つながっているかどうか。
既定路線であれ、少しでも新しく、効果が出るような事業にして行くことは必要。それはそれでいい。それにしても、同僚に話したことがいつのまにか役員にも伝わっている気がする。
懇親会で酒を飲まなくなって久しい。別にもういいかと思っているが、やはり世代によってはつれなく感じる方もおられるようだ。
音質は手放せないものなのだが、費用や手間をかけてもなかなか気に入った形での運用が難しそう。それはそうと、Macminiはよくよく考えてみると省スペースという点だけでも価値があると思えた。・省スペースである。立ててモニタの後ろあたりに置くと最高。Ai…
しばらくは満足できるまでいろいろ試行錯誤することになるだろう。車が新しくなったことで、どんな効果を得られるか。経済面、健康面、生活面...。
出来るにこしたことはない。しかし、万全でなければ出来るとは言えない。